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『おとなしいアメリカ人』の訳文で気になったこと

2026年7月11日

グレアム・グリーンの『おとなしいアメリカ人』を読んでいて、翻訳で気になった部分があった。

ファウラーが妻ヘレンに離婚を求めると、返事にはこうあった。

I can see you marrying after a drink too many.

ハヤカワepi文庫の田中西二郎訳では、次のようになっている。

一度お酒を呑んだだけで、誰とでも結婚するあなた、目に見えるようですわ。

a drink too many は、「一度酒を飲んだ」という意味ではない。「一杯余計に飲んだ」、つまり「飲みすぎた勢いで」という言い回しだ。文面に寄せるなら、「あなたなら、酒を飲みすぎた勢いで結婚してしまいそうだわ」くらいだろう。

もうひとつ気になるのは、「誰とでも」である。原文に直接そう書かれてはいない。結婚相手は、文脈からすればフォンだ。それなのに、訳文では相手が不特定の誰かにまで広がっている。

「誰とでも」はどこから来たのか

この一文だけを比べれば、ずいぶん踏み込んだ訳に見える。ただ、ヘレンの手紙を通して読むと、「誰とでも」という言葉がまったく根拠のないものとも思えなくなる。

ヘレンは、ファウラーが一人ではいられない男だと知っている。彼は以前にも別の女性を愛し、その人を失えば人生が終わるかのように語った。そして今度は、フォンを失えば「死の始まりになる」と訴えている。

ヘレンは、彼の気持ちが嘘だと言っているわけではない。むしろ、そのときどきには本気なのだと知っているのだろう。疑っているのは、その本気がどれだけ続くかである。

ファウラーにとってフォンは、愛する女性であると同時に、老いと孤独を遠ざけてくれる存在でもある。彼は別の場面で、一人きりで老いることへの恐怖を語り、同じ部屋に女性がいてくれるなら、愛していない相手でも一人よりはましだという趣旨のことまで口にする。

そんな彼を見てきたヘレンには、結婚の申し出が、フォンを生涯大切にするという決意よりも、孤独や帰国への恐怖から逃れるための衝動に映ったのではないか。訳者が「誰とでも」に込めたのがその冷ややかな人物評だとすれば、筋は通る。

ただし、そう読んだとしても、訳文で起きていることは小さくない。原文にある酔いの比喩は薄れ、代わりにヘレンの見立てが言葉として置かれる。原文では読者が前後から汲み取るはずだったものが、日本語では先回りして示される。余白が、断定に変わっている。

これが意識的な意訳だったのか、慣用句の取り違えだったのかは、訳文だけからは分からない。それでも、このずれを誤訳の一語で片づけると、ヘレンがファウラーの何を見抜いていたのかという、もっと面白い問題まで見えなくなってしまう。

「I miss you」は日本語にできるか

このことを考えていると、I miss you. というありふれた言葉も、急に厄介に見えてくる。

「会いたい」「寂しい」「あなたが恋しい」「そばにいてほしい」「いなくて寂しかった」。訳そうと思えば、いくつも候補はある。けれど、どれもぴたりとは重ならない。

「会いたい」は、これから会うことへの願いが強い。「寂しい」は、相手の不在より話し手の状態に重心がある。「恋しい」はきれいな言葉だが、日常会話では少し強く響く。「そばにいてほしい」には、相手への要求が混じる。

I miss you. には、相手がここにいないという事実と、その不在を感じていること、寂しさ、愛情、再会への願いが、ほどかれないまま入っている。恋人だけでなく、家族や友人にも言える。切実な告白にもなれば、久しぶりに連絡した相手への軽い一言にもなる。

日本語には、その意味の広さと日常性を同時に持つ、ひとつの決まった表現がない。久しぶりに会った友人なら「会いたかったよ」かもしれない。遠距離にいる恋人なら「いなくて寂しい」。亡くなった人へ向けるなら「あなたが恋しい」や「もう一度会いたい」になる。同じ三語が、日本語では関係や距離、過ぎた時間によって別々の言葉になる。

訳すことは、決めること

I miss you. を「会いたい」とすれば、再会への願いが前に出る。「寂しい」とすれば孤独が、「恋しい」とすれば愛情や喪失感が深くなる。どれを選んでも、何かはよく伝わる。その代わり、ほかの何かは遠のく。

『おとなしいアメリカ人』の一文も同じだ。「酔った勢いで結婚する」と訳せば比喩は残るが、ヘレンの冷ややかさは弱くなるかもしれない。「誰とでも」と加えれば、彼女の不信ははっきりするが、読者が自分で気づく余地は狭くなる。

もちろん、慣用句の取り違えや、原文にない意味の足しすぎまで「解釈」で済ませることはできない。それでも文学の言葉は、辞書の語義だけでは運べない。人物を日本語の中でもう一度しゃべらせようとすれば、語順も、声の調子も、感情の見せ方も選び直すことになる。